不適切な安価による市場破壊と車線減少による交通渋滞
現代日本人は「儲ける」ということにどこか後ろめたさを感じている民族なのではないか?と思うことがある.
「一人勝ち」「総取り」という言葉に対して,やっかみのような感情を抱く人は多いと思う.
これは裏返すと「自分だけが得してもいけない」という思考にもつながる.
「出る杭は打たれる」とも言われるものだ.
その思考構造はよくある道路の車線減少による交通渋滞と似た構造であることに気が付いた.
何が言いたいかというと「自分だけ得」を避けるために結局,「みんなで損をする」という構造になっているということに気づいているか?ということである.
車線減少による渋滞の原理
例えば,既に渋滞している片側二車線の道があったとする.
そして,今いる場所の先の方で左側の車線が工事などで減少することになったとしよう.
その場合,右と左の車線のどちらが進みが遅いかというと,右になる.
この理屈は日ごろ,注意して運転している人ならば分かるのだが,意外に気づいていない人が多い.
車の進みが遅くなる理由
観察というほど大げさでもなく,みていれば分かることだが,車線が減少する地点ではなく,手前で右側に入っていく車があるせいで右側車線の進みが左側車線より遅くなるのである.
下の図でいうと,「A地点」や「B地点」で合流しようとする車があるのが原因となる.
合流しようとする車がある一方でその車を抜いて合流地点で合流しようとする車が必ず現れる.
そのため,必ず右側の車線の進みは遅くなる.
つまり,
「先頭まで我慢できなくて,消えない(なくならない)車線(上の図だと右車線)に先に寄ってしまう車」
がいる所為だ.
では,なぜ先頭まで我慢できないのか?
これは先頭まで我慢していると先頭である合流地点で入れてもらえないかも?と思う心から来ている.
「今,ちょっとすき間が出来たから入ろう~」
という考えも先頭で必ず交互に譲り合って入るというルールが存在すればなくなるはずである.
入られたほうの気持ちを考えると「困ってそうやから,入れてあげるわ」という寛大な心の持ち主もいれば,一つ後ろの車は「あいつ間を空けやがって,はいられたやないか?」と怒る人もいるだろう.
では,なぜ先頭で入れてもらえないのか?
それは
(左側の)減少車線が空き気味の状態なら,右側の車線に並んでいる車からすると「抜かれた!」と思われる
からだろう.実際,自分より後ろにいたはずの車なのだから当然といえば当然のことである.
では,なぜ空き気味になってしまうのか?
これは最初に戻るが「合流地点手前で右側に割り込んでくる車」がいるからだ.
つまり,「卵が先か鶏が先か」論争になってしまう.
ではどうすれば渋滞しにくくなるか?
ここまで考えれば答えは明白である.
どの車も先頭の合流地点まで進んでから交互に入っていけばいい
のである.
先頭で入っていけないと思う理由は先ほど「抜かれたと思われる」と書いたが,それを恐れる理屈は「自分だけ得したらまずい」と思う考えなのではないか?
しかし,よく考えてほしい.
「自分だけ得」というのは「自分勝手なことを嫌がる日本人」が嫌がることではないかとおもうのである.
手前で割り込む車の方が余程「自分勝手」なのである.
「全員が先頭の合流地点で交互に合流する」
という(今回勝手に決めた)公平なルールを破る「自分勝手」な人間だ.
公平になるようにルールを決めたとしても,それを破る人がいれば,たちまち公平ではなくなってしまう.
また,「先頭で合流する」という暗黙のルールも暗黙である以上,みんなが守るわけではない.
ということは結局,なくなる車線の方が早く進むのである.
ただし,実際,自分の走っている車線がオールクリア(前に全く車がいない)状態で,しかもその車線がなくなっているのが見えている場合,隣の車線に車が列をなしていたら,気にせず先頭まで走ることはなかなか勇気のいることでもある.
そもそも,前に車がいないという状態を作ってしまっている時点でおかしいといえばおかしいのだが,暗黙のルールなので強要するのは不可能である.
高速道路の運営会社がキャンペーンでも張って,周知させればいいのにと思うが何か難しいことがあるのだろうか?
不必要な安価による市場破壊の原理
さて,ようやく本題に入る.
付加価値のある商品を安く売ることを「市場破壊」ということにする.
まさに市場が破壊されるからだ.
「失われた30年」とかよく聞くが,日本はマーケティングをほとんどしなかったせいで,この事態を招いたのではないかと思っている.
この話は別に書くとして,今は本題に戻る.
付加価値のある商品を相応の値段で売れない原因は何か?
これは「マーケティング」をしていないからに尽きる.
適性価格が分からないので安くしてしまうのである.
A社とB社という競合同士の企業があったとしよう.
顧客:「A社の製品の方が5000円安いんだから,もっと安くして.」
↓
B社:「分かりました.」
今度は顧客が A社にいう.
顧客:「B社の製品のはお宅よりも1000円安くしてくれた.どうする?」
↓
A社:「分かりました.では,さらに 500円安くします.」
これだと際限なく,安売り競争が始まってしまう.
そして,どちらかの会社がこれ以上安くできない限界の価格まで来た段階でどちらかが降りて終わりとなる.
その結果,何が残るのか.
適切な対価を得ることができなかった商品を売った
という事実が残る.
それがどういう問題を引き起こすか.
安売りをする会社が現れるとどうなるか
実際の付加価値,つまり市場に問題なく受け入れられたはずの価格ではなく,不要な安売りをする会社があった場合,どの会社に対しても同じ価値かそれ以下の価値しか持っていない商品はすべて価格下降の圧力を受ける.
同じ価値のものを安い値段で売っていたら,当然,みんなそちらを買う.
つまり,適正な利益を得ることを放棄する会社が現れると競合他社は皆,被害を被るのだ.
これを「市場破壊」という.
例として,20,000 円で購入するっていっているお客さんに 9,000 円で売る営業マンを見たことがあるが,
「なぜ,そんなことするんですか?」
と聞くと
「いや,原価が2,000円なんで悪いと思ったんで.」
と言われたことがある.
儲かったら悪いと思っているのだ.
「お客様だけでなく,自分だけが儲かったら悪い」と思っているだけでなく,「お金にこだわって儲かること自体も悪いことだ」と思っているのかもしれない.
ただ,この場合,「20,000 円で買う」って言っているのだから,お客様も満足,つまり儲かっているのである.自分だけが儲かっているわけではない.
≪江戸時代の「士農工商」ですか?≫と突っ込みそうになったが,「お金のことにこだわる人は卑しい」と植え付けたのは朱子学であり,この悪い影響が現代まで及んでいるのだ.
江戸時代の悪影響が令和の時代にまで及ぶとは恐ろしいことだ.
消費者の立場で
「安くなったらいいだろう!」
「何を言っているんだ?」
と怒る人はよく考えてほしい.
その付加価値に見合った適性な価格で販売できない場合,販売できない会社はどこかにしわ寄せがいく.それは
- 従業員の仕事量が多くなる
- 従業員の賃金が下がる
- 従業員がやめていく
- 商品の量・質が下がる
それが継続すると最終的には会社はつぶれる.
実際にはその賃金でも耐えられる我慢強い人か,能力・スキルの不足している人が頑張るので,そう簡単にはつぶれない.
しかし,どんどん悪循環にはまっていく.
工夫のない企業がつぶれるのは仕方ない面もある.
日本で同じ種類の商品が作れなくなっても海外には存在する場合はそちらに行くからよいという考え方もある.
品質がそれで本当に保てて同じ商品が買えるなら,手に入れるということについては問題がなくなるが,今度はその国が売らないと言ってきた場合はどうするのか?
全面屈服して,「あなたの国の言うとおりの値段で買います」で問題ないなら,それも手だが...
そのような降伏を良しとしないなら,その商品を買うことが出来なくなる.
最終的には消費者が困ることになるのだ.
つまり必要以上に値切ることは何も良いことがない.
しかし,人間は損得に敏感なので値切ることを責めることは出来ない.
値切られるようにしている販売側が悪いのである.
まさに「合流地点まで待てないで,割り込みをする車が悪い」のと同じ理屈である.
企業を永続させたいなら,見合った対価を払ってもらえるような仕組みを作る必要がある.
また,適正な利益を載せて儲かっている会社があると「叩きたい」傾向にもあるようだ.
「自分だけが得したらまずい」という感覚について先ほど書いてみたが,それの逆である.
「あいつだけが得したら腹立つ」である.
適性な利益を載せて販売することは決して「自分だけが得している」ということではないことに気づくべきだ.
現状で日本で利益の半分は国に納めることになる.
つまり,利益を増やせば増やすほど税金の額は上がっていく.
これは社会貢献であって,その税金は国民全員に還元されるので利益を上げることが悪いことではないはずだ.
必要以上に値段を安くして,会社自身をつぶして,結局税金を全く納めないのとどっちが社会貢献をしているのか?
適正価格で販売可能な実例
つまり,安売りすることにメリットはない.
家電や野菜などの商品だって同じなのである.
叩きすぎると体力がなくなってしまう.
では,叩くのがダメなのだろうか?
勘違いされる方が多いが,叩く方がダメなのではなく,マーケティングをしない会社が悪いのである.
例えば,
顧客:「安くして」
と言われたときに
販売員:「お客様はどういう状況でこの洗濯機を使いますか?」
と聞けば,例えば,
顧客:「一人暮らしで働いているので帰ってから洗濯してます」
と聞いたとする.そこで
販売員:「それでしたら,A 社の機種はネットで接続して,会社を出る寸前に洗濯を開始することが出来るんです.なので家に着いたときにはちょうど終わっているように出来ます.」
顧客:「なるほど,ネットに接続できる洗濯機って何?って思ったけど,そう使うのか.」
販売員:「B 社はその機能はついていませんが,水を細かくする機能がついていて,5000円ほど安くなっています.」
と説明すれば,ネット接続を価値があると認めた場合は高くても A 社の商品が売れる.
つまり,顧客の需要に応じて差別化をすれば価格を下げる必要はなくなるのだ.
野菜でもそうなる.
毎回買っていると分かるが
「安くてもまずい野菜を売る」スーパー
「高いけど綺麗な野菜を売る」スーパー
「高いけどおいしい野菜を売る」スーパー
など,本当は実際に買わなくても分かるように教えてくれれば試し買いをする回数は減る.
「まずくても安い」を求める人もいるだろう.大量に必要な家庭なら,そういうこともあるだろう.
逆に「少量で良いから高くてもおいしいもの」を求める人もいるだろう.
何が言いたいかというと
適性価格を知ろう
ということだ.
そして,適正価格で販売して,買ってもらう工夫をすることこそ,重要なことなのである.
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