無知の知

最終更新日: 公開日: 2023年11月

「私は自分が何も知らないことを知っている.」というのはソクラテスの言葉だが,この言葉はかなり含蓄のある言葉だ.

誰もが知っている言葉であるが,それを現実の世界で活かしている人はどれくらいいるのだろうか?

無知の知

無知の知を活かさない人

人はみな変化を嫌がる,人間慣性の法則ともいうが,特に思想や考え方に関してはなかなか変わらないのが人間だ.

何らかの影響を受けて自分を変えたときに嫌な体験をした人が多いからなのだろうか?

人生で一番大事にしていることというのは人によって様々だろうが,人がたどり着いていない考えにたどり着くことが出来ると物理的に得をするだけではなく,精神的にも優越感に浸れるので,知るということはそういう意味でも嫌がる理由はないように思うのだが,新しいことを知ろうとする人があまりいないのは不思議なことだ.

無知の知どころか,知らぬが仏な人

「知らぬが仏」とはよく言ったものだが,自分に対して「知らぬが仏」というと,それは「知ってしまうと嫌な気持ちになるのであえて知らないでおこう」というどちらかというとネガティブな意味となる.

確かに知ってもどうにもできないこともあるが,そうでもないことも多い.
それでも知ってしまうと心も乱されるし,対策を考えずにはいられなくなる.
それで最初から知らないほうが良いと思う人が多いのだろうか?

知らない人から声を掛けられた場合

また,知らない人から話しかけられる場合に良い思いや得をした経験が少ないので,「またか」「もうええわ」となってしまうのだろう.
そして,なぜそうなるかというと相手のことを考えずに話しかけたり,電話してきたりする人が多いからだろう.

つまり,本当に相手にとって良いことを提案しようとしても,オオカミ少年が多すぎるがゆえに拒否されるケースも多いということだ.これは非常に難しい問題と考えている.

本当は相手のいうことを聞いて判断すればよいのだが,ほとんどの場合,既に知っている,もしくは不要な情報なので聞くのさえ嫌になってしまい,本当に有益な情報を取得することが出来ないという問題が起こる.

ただし,本当に有益な情報というのはその性質上,検索することは出来ないので,他人から教えてもらったり,偶然見かけた本などで手に入れる以外に方法はない.
知らないから「有益な情報」なのであり,少しでも知っていることは自分で調べることが出来るからである.

検索している時点でそれは顕在ニーズ

検索というのが出来るのは顕在的な問題が生じたときだけだという事実に気づいているだろうか?
つまり,無知を知っているので「検索」するのであるが,これはつまり既に知っているという時点で潜在的な内容ではない.より詳しく知りたいから検索する.

このサイトでは「カーナビ」を例としてよく挙げるが,カーナビがなかった時代に「カーナビ」もしくはそれに近いものを検索出来た人がいただろうか?ということを考えてほしい.

カーナビを知らない時代の人は
「自動で現在地を地図で指し示しながら,同時に目的地への道順をアドバイスしてくれるもの」
などという検索はまず出来ない.

同乗者が察しの悪い人の場合,ナビゲートをうまく出来なくて運転者がイライラするというのはつい最近までは日常だったはずだ.
楽しいはずのドライブで喧嘩しまくりということもなくはない.

その時に

  • なんでこの人は地図が読めないんだろう?
  • もっと先を考えて指示してくんないかな?急に「そこ曲がれ」とかいうな
  • そもそもこの地図分かりにくいな

ということは思っても「カーナビがあったら」という考えに至ることは不可能だ.

つまり,本当に便利なものは人や書物から教えられることの方が多いということだ.
それも探そうとして探したのではなく,偶然見つけたもの,偶然知ったものの方が付加価値が高いことが多い.

それは恐らく探そうと考えるようなものは既に存在している可能性が高く,既に存在しているとしたら,必要としている人が多くいて,既に作られてしまっているからだ.

偶然知ったことの方が価値がある

以上のことから,普段探さないような情報や知識こそ,その人にとって価値のあるものだったりするわけである.
では,どうしたら偶然知る機会を増やすことが出来るのか?
家や事務所にかかってくる電話に真面目に応対するという手はあるが,玉石混淆(玉石混交)とはいえ,ほとんどは石だし,石どころか毒のような詐欺電話もある.
そこで,一番良いのはある程度知っている人から勧められることではないかと思っている.

人の勧めに従ってみる

自分の全然知らない,無知のことに関してはとりあえず「やってみたら」という勧めに従い,やってみる.
それでも大半は「違うな」ということになるが,「新しい世界に首を突っ込む」ことは出来る.
そこで得た経験はその時に役に立たなくても,何かの時に繋がって別の何かを思いつくことも多い.

例えば,誰かが「美味しい店」の情報を教えてくれたとしよう.
そうしたら,まず行って食べてみる.
もちろん,何を食べたらよいかも聞いておく.(これを仕事で行うとヒアリングともいう.)

食べた時に自分なりの感想があるはずだが,それを必ずフィードバックする.
「自分にとっては塩辛かった」とかネガティブな意見でも構わない.
そこで忖度して「旨かった」という人が日本人には多いだろうが,そこで嘘をつくとお互いの認識がずれていってしまう.
正直な話をしておかないと次に困ることになるのだ.

同じものを食べていれば,この人の辛いのレベルがこの人の表現ではどのような言葉になるのかということが分かる.
そこで初めて,「辛さ」という情報を共有できるようになる.
当然,「辛さ」だけでなく,「旨さ」「甘さ」など様々な感覚情報を共有できる.

つまり,しっかりと話をすればこの人は

  • 役に立つ情報を教えてくれる人なのか
  • 私の大体知っている情報しかくれない人なのか
  • そもそも間違った情報を教えてくれる人なのか
  • どうでもいいけど,面白い情報をくれる人なのか

どういう人なのかが分かってくるのである.

よくある評価サイト,食べログ や 価格.com などがどうにも合わないなと感じるのはそもそも評価している人のバラつきが大きいためだということが分かる.
そのような評価サイトは文章を読んで判断するほうがよほどためになるが,それでもそもそも書いている人がどういう人か分かっていない時点で本当の意味では役に立たない情報なのである.

大事なことは「人の勧めに従ってみる」の人が信用できる人でないとダメだということ.

では,信用できる人というのはどうやって見分けるのか?
それは私も分かりません.自分なりに考えてください.
一つ言えることは過去情報は当てになるということで,その人から何度もよい情報を教えてもらっている場合は信用度は高いといえる.

社名である「レクタス」という言葉は「誠実」という意味である.

誠実によい情報を伝え続けることが信用度を上げることだと思っているので弊社は会社名に「レクタス」という名前を付けているのである.

 

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