効率を求めすぎると味気なくなる話

最終更新日: 公開日: 2025年03月

何でもかんでも効率を求める世の中になっていると感じる.
IT化と効率化は違うものだ.

まとめサイトや要約した動画を見て,分かった気になる危険性を指摘している人はいるし,私もそう思う.

そういう観点からちょっと記事を書いてみた.

効率を追求すること

居酒屋やレストランでスマホやタブレットで注文する話

ホームページを開いて,そこからの注文だけなら,まだマシだが,LINE登録を求められたりするとちょっと嫌だなと思ったりする.これは一般的には嫌ではないのだろうか?少し人に聞いてみると「すぐ削除すればいい」とか言っているが,一度取られた名前は取り返せない.
(後で言及するが,特にLINE登録については客側がどう思うかについて全く考えていないのだろうか?)

人件費削除と言われているが,そもそも,接客することってそんなにコストのかかるものなのだろうか?
本当にただ食事が出来ればいいだけなら,確かに接客なんて不要なのだが,そういうことでいいのだろうか?

スマホでの注文は店員に聞きづらくして,料理の味の確認もしにくくしている時点で私のような面倒な客を排除しようとしている.コミュニケーションをとらない方向に進んでいる.居酒屋はファストフード化しているということだろうか.

まあ,コンビニやスーパーも似たようなものだから,それと一緒と言われればそれまでではあるが,スーパーの場合は店員に「このみかん甘いですか?」と聞くことも出来るし,やはり「甘い」と勧められたものがそこまで「甘くなかった」りすることもあるが,それは感覚の違いなので次回には「あれはそれほど甘くなかった」と感覚のすり合わせも可能だ.そして,うまい魚を教えてくれたり,うまい果物を教えてくれる店員を見つければ,今後はなるべくそのスーパーで買おうとするものだ.

実際チェーン店の居酒屋はそれでよいのかもしれない.味わいに来ているのではなく,集まった仲間としゃべるのが一番の目的だからということだろうか.

しかし,ちょっとした会話であっても話をすると満足感は上がる.
大学時代にスキー場にあるホテルの中華料理屋でバイトしたことがあるが,人が少ない穴場はないですか?とか聞かれて,それを伝えるととても喜んでくれたものだ.バイトは毎日のように滑っているのでスキー場のことはよく知っている.そういう質問をするお客様に関心したものだ.それ以来,地元のことは地元の人に聞けと言うのは鉄則だなと思っている.

そして,こういうことが面白いと思っている人間からするとこういうことが出来ずに機械的に処理されてしまうことに面白く無さを感じてしまう.

ファミレスでの話

あるファミレスで実際に体験したことだ.
喉が渇いたので水をお替りもらおうと思い,店員に声をかけた.
そうしたら,「タブレットからお願いします」と言われた.
え?それぐらい自分で持ってくるか,伝えてくれないの?と内心ではムッとしたが,仕方なくタブレットで水を頼むことにした.

そうしたら,「ドリンク」で「水」があるのかなと思った.回転ずし系はメニューの中に「わさび」「がり」など無料のものがあるのを思い出したからだ.
しかし,どれだけ「ドリンク」を探しても「水」が見当たらない.

苦戦しながら「なんじゃこれは?」と思っていると隣のテーブルの人が「呼び出し」を押せばいいですよ,と助け船を出してくれた.
こちらとしては歩いている店員に声をかけたら,「タブレットからお願いします」と言われているので呼び出したらダメだろうと意識がある.

「え,これいいんですか?」

と聞くと

「呼び出しの後に選べます」

と言われた.「呼び出し」って書いてあったら,普通いきなり呼び出されると思うでしょ?
そして,店員が来たら,また「タブレットでお願いします」という【タブレット輪廻】が始まるだろうという予想がつくので「呼び出し」は押せなかったわけである.

「おかしいですよね.」

と隣の人もいうが,とりあえず「呼び出し」を押してみると確かにボタンが複数出てきて「水」ボタンもあった.
そこから「水」を押すと店員が「水」を持って現れた.

ここでの問題を避ける方法はいくらでもある.

  • 最初の店員が自分で水を持ってくるか,別の店員に水を持っていってくれと頼む.
  • 最初の店員が「タブレットから【呼び出し】ボタンを押してください」と言う.
  • タブレットのボタンを「呼び出し」ではなく,「水など困った時」などのようなボタンに変える

いろいろおかしいが二度とこのレストランには来ないだろうと思ったことはいうまでもない.
その不快さを吹き飛ばせるほどの美味しい料理でもないのだ.

御用聞きとコンサルの違い

御用聞きの場合,本当に言われたことにしか対応しない.
それはつまり先ほどの機械的に処理されることと何ら変わりはない.

コンサルというのは言われたことに対して,なぜそういうのかまでを聞くことをする.
なので,単純に「あれが欲しい」と言われても,「なぜ,それが欲しいのですか?何をされようとしてますか?」と聞くので,本当に必要なものを把握でき,欲しいと言われたものよりももっと良いものを提案することができる.
そして,そこに面白さがあると思っている.
ここで面白さというのは販売側でだけではなく,購買(お客様)側でもだ.

まとめサイト・要約ページ・要約動画について

要約ページでは本当にその本が伝えたかったことは伝わらない.そもそも著作自体は考えに考えて必要なことだけに削って出来た作品なのだから.(そうじゃない本もあるだろうが.)

まとめサイトや要約した動画で読んだ気になるのは危険なのだが,それに気づいていない人が多いことも危険なことである.

ある思想を解説した動画を見た際にこの説明している人の知識の薄さ・狭さに驚いた.よくこれで堂々と動画を作れるなと感じたことがある.これで100万回とかの視聴回数を稼いでいるのを見るとどれだけの人がこれを信じるのだろうと怖さを感じた.
確かに話し口が分かりやすいし,説明もうまいと思うのだが,一面的な見方しかしていないので解説が薄っぺらいというか,間違っている.あくまでもこの人の解釈ではこうなるということなのだが,説明の仕方がそういう感じではなく,断定的だ.こうやって間違った解釈をしていく人が増えていくのかと恐ろしくもなる.

特に AI とかでまとめたものを作って読んでる人もいるようだが,肝心なところを飛ばして要約されてしまうと実際の著者の主張と全く違う内容になったりする可能性も捨てきれない.
伏線が多数あった上での結論の場合もあり,その伏線を知らずに結論だけ聞いても受け取り方は変わってくる.

本や映画でよく思うが,その人の知識・経験により,感じ方,学び方にはかなり違いがあると思う.
しかし,その幅は全部読んだり,見たことによって広がるものだと思うのだが,要約して短くしてしまうとその受け取り方の幅は当然狭くなる.しかもそれが著者の思ってもいない方向での幅の狭さだった場合は全く違う解釈をされてしまうことになる.

また,まとめられた要約は実際に全部読んでから見るとだいたい「味気ない」ものになっている.
これは要約という性質上,免れにくいものである.

知らない人と話をしてみること

影響力の武器 実践編[第二版]」という本の中に通勤電車で知らない人と話をした人としていない人を比較したときの話が出ていた.
通勤電車では他人と話したいと思うことはないはずなのに話をした人の方が満足感が高かったというのだ.
不思議なことに人と話をするということは話す前は億劫であっても話した後は満足感が高いものなのだ.

もちろん,通勤電車の中で何をしようがその人の勝手であり,他人に迷惑をかけないのであれば眠ってようが,本を読んでようが,何でもいいが,知らない人と話すという満足感は効率という面から見ても何も効率的ではないのだが,満足感が得られるというのが話としては面白いと思えた.

ゲームや山登りの話

100人とかそれぐらいの規模の人数が集まって行うゲームがあったとする.
今まではゲームの種類も多く,また準備するのに手間がかかるゲームが多かった.
例えば,ゲームするために必要な部材を買ってこないといけなかったりしてはっきりいって準備は面倒くさい.
しかし,準備に時間がかかった分,準備したほうの満足度も高くなるし,ゲームしている方もそれが分かっているだけに楽しい.
苦労した分,一緒に仕事をした人とは親しくなるし,終わった時の満足感もあるのだ.

準備を極力減らしてゲームを簡単化するとなぜか急に味気なくなるのだ.
ゲームをするというより,淡々と仕事をこなす感じとでもいうのか,不思議なことではある.

これは山登りでも同じだと思う.
六甲山などは車でも登ることは出来るが,車で登った時の気持ちと下から登った時の爽快感は全く違う.

効率を追求するとプロセスを省いてしまうので味気なくなるのだろう.

マーケティングを数字で見る話

「MAツール」は一般的にスコアリングなどをして効率的に重要な見込み顧客を見つけ,そこに重点的に営業をかけることをうたっている.
しかし,本当にこれでうまく営業出来ている会社はあるのだろうか?

弊社のツールはある方法を使って重要な見込み顧客を見つけ出すが機械的に営業をかけることを推奨していない.
闇雲にボリュームをかけて営業する手法はお客様にとってメリットがない場合は続かない.
営業支援システムを含む「MAツール」を販売している会社はそのことに気づいているのだろうか?

私が知っている世の中にあるMAツールは自分視点,自社視点でしかものを見ていないように思えるのだ.
効率的に運用しようとして,自動的,機械的に連絡先を見つけてきて,ひたすらボリュームをかけて営業する.電話をかけられる相手のことは考えていない.

PDCA というのは弊社も「プロセスマネジメント」というページで説明している.
だが実はボリュームはかければよいというものではない.理論的にはボリュームをかけないよりはかけるほうが売れると思うだろうが,長い目で見ると逆効果になる場合がある.
要はうざい電話ばかりかかってくるとかけられた会社にとってはマイナスイメージにしかならない.
何回電話がかかって来ても嫌がられない方法もあるのだが,そういうことには気づいていない.

プロセスを分離するとアポを取る人はアポさえ取れればよいので,その後のことは考えない.よくアウトソーシングでテレアポを使ったりするが,アポ件数が売り上げに直結していたりすると「とりあえず何でもいいから」アポをとるようになる.
そのような状態でとれたアポに別部隊が訪問したとしても売れるわけがない.
もちろん,「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」の論理でたまには売れることもあるだろうがかえって効率が悪いことになる.

このように効率だけを追求するとうわべの数字の良さに気をとられて,問題が起こっていることに気づかないということが起こる.

このような問題に共通していることは「相手のことを考えない」ということだということが分かっている.

しかし,こういうサービスが増えているとしたら,売れているとしたら,受ける側も鈍感になっているということなのかもしれない.味気ないことが平気ということだろうか.
居酒屋やファミレスのタブレット化が受け入れられるのなら,やはり同様に味気ないことに何とも思わない人が増えているということだろうか.

 

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